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フラメンコ界、相次ぐ訃報

今月、お二人のフラメンコ関係者が亡くなりました。大変、落ち込んでいます。とてもお世話になった方々なので、思い出話を添えてブログでご報告することにしました。

間瀬弦弥氏

フラメンコ舞台監督の要、日本フラメンコ界を裏方から支え、誰からも慕われ、誰よりもフラメンコが大好きだった方。間瀬さんが亡くなったということは、日本フラメンコ界にとって大変な打撃です。日本で開催されるフラメンコの舞台は、殆ど間瀬さんの舞台監督で成り立ってました。間瀬さんを知らない関係者はいません。

私自身、間瀬さんには大変な仕事に携わっていた時に、力になって頂きました。

昔、ひょんなことから、コンサート制作に従事した時期があります。

ホアキン・グリロ、エル・ミステラ、フアン・アンドレス・マジャの3人が同じ舞台で踊るという、結構大それたコンサートで、大阪公演まで一緒に同行してマネージャーみたいなことをやりつつ、チケットの管理もしたり・・と、メチャクチャ濃厚な経験でした。それぞれ共演するバックが違った為、カンタオールとギタリストが合計6人、ミステラは奥さん子供連れだったので、そのお世話も兼ねてました。今思い出すだけで恐ろしいです!

そのコンサートの舞台監督が間瀬さんで、ド素人の使いものにならない私に、根気よく色々教えてくれました。何も分からなくて泣きたい気分でしたが、間瀬さんのおかげで舞台制作を学べたし、どうにかハッタリでくぐり抜けました。あの時のご恩が忘れられません。

まだ62歳で、急死だったそうです。本当に残念です。

中村正夫先生 

スタジオオープンパーティーに来てくれたギタリストさんです。赤いニット帽被ってた通称マリオです。(マリオブラザーズのマリオに似てるので)

今月2月に大腿骨骨折で入院、リハビリが終わったら退院すると伺っていたので、もう回復したかな?と思っていた矢先に、友人から中村先生が末期がんで入院してると聞いて大ショック、先月お見舞いに行きました。緩和ケア病棟で寝たきりでしたが、帰り際に「雨に気を付けて」と力を振り絞るように言ってくれたのが最後に聞いた言葉でした。お盆休み中に告別式がありました。とてもショックでした。

私は、中村先生にソロで踊る意識をたたきあげられました。まさに恩人の恩人です。

大塚友美さんがご家庭の事情で教室を一時閉鎖した時、殆どの門下生は他の教室に移りましたが、私は習いたい先生が他にいなかったし、もう教室通いはイイや!って、一人で黙々と基本練習をしながらスペイン人のクルシージョを受けたりと、全くのフリーになった訳です。そんな時、知り合いのカンタオーラさんが中村ギター教室を紹介してくれて、毎週日曜、高田馬場に通って中村先生と生徒さん達の伴奏を基に、自分なりにアレンジした振付を踊って研磨を積んでいたのです。

踊りの練習も出来て、尚且つ、プロのギターの教えも聴けたんです。これは、大変な財産です。踊りに関しても色々とアドバイスを頂戴しました。中村先生が出るお仕事にはお声かけ頂いて、本番の機会も沢山与えて下さいました。そのお蔭で横の輪が広がり、何のコネも実力もない私が続けて来れたんです。

中村先生の見る目は超一級でした。当時、中村ギター教室に出入りしていたカンテさん、踊り手さんは今となっては超有名になって日本を超えて活躍してるような方々ばかりです、私を抜かして(笑)。 そういった方々と、一緒に中村先生のとこで切磋琢磨してた時代があったんです。

懐かしい。

間瀬さん、中村先生のご冥福をお祈りいたします。本当にお世話になりました。

写真:スタジオオープンパーティ記念写真。胡蝶蘭の近くに座っているギタリストが、中村先生です

♪スペイン語ひと口メモ♪

シギリージャのレトラから

Por Puerta Tierra

no quiero pasar,

porque me acuerdo de mi amigo Enrique

y me echo a llorar

プエルタティエラは通りたくない。

友エンリケを思い出し、泣き出してしまうから。

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